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是空さんの公開日記
08月21日
21:59

バートルビー 偶然性について 
[附:ハーマン・メルヴィル『バートルビー』]

ジョルジョ・アガンベン=著
高桑和巳=訳

内容

働かないのに事務所にい続ける青年バートルビー
〈する〉ことも〈しない〉こともできるという潜勢力の、西洋哲学史におけるその概念的系譜に分け入り、メルヴィルの小説「バートルビー」(1853年)に忽然と現れた奇妙な主人公を、潜勢力によるあらゆる可能性の〈全的回復者〉として読み解く。
小説の新訳を附す。

是空的批評

『白痴』におけるムイシュキン公爵など、文学においては愚者が賢者として描かれる例を散見する。愚者は自己差異化の運動を宙吊りにすることで他者の価値の奴隷には成りえない。我々はまさにその点において「非人間的なのは人間である」ことに気づかされるのである。

楽園から追放された我々はもはや進歩の前進運動を推し進める以外ありえない。自己言及の連鎖、シニフィアンからシニフィアンへの無限のサーキットによってのみ、価値ある存在であると感じることができるのである。

人間とは自己自身に居合わせない存在のことであって、この自己喪失と、それが端緒を開くさまよいのうちに存在している。そこにはもはや「剥き出しの生」は存在しない。

剰余価値としての生が残るだけである。

バートルビーが「しないほうがよいのです」というとき、真に質的な多様性が現実化している。これはジル・ドゥルーズが『千のプラトー』の中で展開したノマディズムに相応するだろう。

ノマディズムとは変身の可能性の条件であり、バートルビーは「しないほうがよいのです」と生産的な運動を宙吊りにすることによって可能性の深淵を我々に開示している。
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